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知覧特攻隊

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体育館(ジム)を出たところで見た夕陽です。

今月もトレーニングジムの方、更新しましたよん。

暑い、暑いとは言ってもひと汗かいた後の夕暮れは

風が心地いいです。


今日はね、月に一度のケアマネさんの訪問日でした。

バァさんの状態の相談もあったので、

今回は二人の居ない日を選びました。


ケアマネさんね、息子ちゃんがピーと同い年でもあり

介護以外でも、いろいろと話が弾むのですが・・・

今日は話が思わぬ方向に行きました。


デイでの軍歌の大合唱の話をしたんです。

「皆さん、戦争を経験した人ばかりだから懐かしく思われたようで・・・」っと。

すると・・・

「私の父は特攻隊の生き残りなんですよ。」っとケアマネさん。

片道の燃料だけで知覧の基地を飛び立ったそうです。

ところが米軍の艦隊に辿りつく前に燃料が切れて海に落ちたそうです。

落ちる前の爆発で投げ出された事が幸いして、

飛行機の破片につかまって、海で浮かんでいる所を

日本の物資輸送船に救助されたそうです。


映画のような話でしょ。

終戦を迎え、日本に引き上げる時には、

長男が優先的に返してもらえたそうです。


ケアマネさんのお父様は二男だったので、

後の残務処理等を最後まで手伝わされたそうです。


日本の土を踏んでからも

特攻隊員として生き残ったことが恥ずかしくて、

しばらく家には帰れなかったとか。


「同期の桜」を聴くと、当時を思い出すとかで

しばらく歌えなかったそうです。


デイでの大合唱にも、それぞれのドラマがあったのでしょうね。


っで、この話は一旦 /_・)/コッチニオイトイテ・・・


バァさんの精神科受診云々の一件

明日の通院の際に院長先生に

家での様子を手紙に書いて渡すことにしました。

ケアマネさんの方からも話をしておいてくださるそうです。


で、念を押されました。


どこまで家で看るのかと。

ジジババ二人が要介護3になった今、

近い将来、家での介護にも限界がくるでしょう。

どの時点をもって限界とするのかを、

主人や福井の義姉と相談するよう言われました。



施設を選択するのか、

私が仕事を辞めて、完全介護生活に入るのか・・・


命の期限が分からないのに

予定って立たんわさぁ~┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~


特攻隊かぁ~。

ジジババは大変な時代を生き抜いてきたんだよねぇ。

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親の老いを見つめて」カテゴリの記事

コメント

私の父は、予科練の試験を受けて、通信兵になるための勉強をしていたといつも話していたなぁ。
でも、予科練を受けた理由が、ご飯が食べたくて。だった。coldsweats01
>私が仕事を辞めて、完全介護生活に入るのか・・・
それだけは、パスしたほうがいいと思う。
限界が先にemiriさんにくると思うもん。

今年87才の夫の父はS20年5月に召集され下関にいましたが
乗るはずだった艦が沈没してしまいそのまま下関で
終戦を迎え戦うこともなく上官に殴られることもなく
家族や恋人(母で~す)の待っている横浜に帰ってきたそうです。

偶然にも夫の転勤で下関にいた私たち夫婦。
父たちの隊がが3ヵ月いたという旅館(自転車屋になっていた)を
見つけた話は何年か前に「遠い昔さえ」?という記事にしましたが
emiriさんたちより年長の私たち世代が親たちから聞いたことを
もっと語るべきかな・・なんて思いました。

>私が仕事を辞めて、完全介護生活に入るのか・・・
それだけは、パスしたほうがいいと思う。
限界が先にemiriさんにくると思うもん。
↑ブルー・ブルーさんのコメント・・
私も同感です。
もしemiriさんとの会話中だったら・・
すかさず言ったと思います。
「何言うてるねん!」・・・と。

☆ブルー・ブルーさんへ

>予科練の試験を受けて、通信兵になるための勉強
通信兵かぁ、いろんな任務があったのですね。
うちの実家の父も母もまだその頃は小学生だったようです。
空襲警報が鳴ると防空壕に慌てて隠れたそうです。
頭の上をたくさんのB29が通過し、隣町に次々と焼夷弾を投下、
空が真っ赤に燃えていた夜の話は何度も聞かされました。
戦争が終わって私たちは生まれたけれど、今から思うと
あの頃ってまだまだ戦争の余韻?←言葉が変ですがsweat01
のようなものがあったよね。今から思うと・・・

☆赤い姉さんへ

>遠い昔さえ
それ、覚えています。今、姉さんとこにお邪魔して確認してきましたよぉ。
しっかりコメント入れてるし・・・coldsweats01
うちのジィさんはどぅだったのか聞いてみたところ、何と
ケアマネさんのお父様の隣の基地、鹿屋ってところに居たそうです。
予科練航空隊の下っぱで、まだ飛行機に乗らせてもらえない時期に
終戦を迎えたんですって。
その後、原爆投下後の広島の片付けに加わったそうです。
あの時の光景は今も目に焼き付いているそうです。
なんかね、二人とも夢中になって当時の事を語るんですよぉ。
話したかったんでしょうね。いい機会ができました。

>「何言うてるねん!」・・・と。
クスッ( ̄m ̄*)。それ手もついてるでしょ。

皆さんが言われているように介護施設を探される時期に来ていると思いますよ。
順番待ちっていう事はそちらでは無いのですか?
伯母の時100番ぐらいだったのですよ。
別の施設に入れたから良かったけど。
複数探して申し込み早い方がいいと思いますが
emiriさんの1人では決められないですね。
ご主人様に頑張っていただいて・・ねっ!!

☆yasukonさんへ

>順番待ちっていう事はそちらでは無いのですか?
いえいえ、こちらでも順番待ちのようですよ。
近場では300人待ちくらいだそうです。クスッ( ̄m ̄*)
ただ、優先される状況っていうのもあるようですね。
特養ね、うちのジジババはパーキンソンや肺がんの病気を持っているので
入所は難しいかもしれないんですってsweat01
ほんと二人となると費用を考えると恐ろしいですぅ。
ピーに学費がかかる時期とも重なり、貧血を起こしそうですぅcrying

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